
親子の関係はますます悪くなっていったのが、高校の時期です。
こんにちは。30年間統合失調症を患い、障害年金で暮らしているemimamaです。
前記事では自家中毒を起こす幼少期を書きましたが、その後も母との闘いの日々が続きました。

アルバイトに精を出した学生時代
私は高校、大学とお小遣いをほとんどもらっていませんでした。
そのため制服のブラウスや私服に至るまで自分のアルバイト代で賄っていました。
そんなアルバイトの生活では終バスで帰ることが多かったです。
バスなので、帰宅時間はまちまちになります。
それが気に食わなかったのが母です。
「何時だと思っているのよ。いい加減にしなさい。」
「私も一緒に眠れないじゃないの。どうしてくれるのよ。」
帰宅すると玄関で仁王立ちしていることが多かったです。
「そんなこと言ったって、お小遣いをくれないんだから仕方ないじゃない。」
「そのアルバイト代だって無駄なものに使っているじゃないの。」
そんな言い合いが続きました。

自主退学をして社会人になろうと悩む大学時代
特に大学に進学してからは、父が単身赴任し、弟も私も私立の学校に行ったので金銭面で苦しかったようです。
なので、大学生活をしながらアルバイトをしている私をうらやましく思っていたようで「いいご身分だ」と妬んでいました。
そして言い合いになるたびに「言うことが聞けないなら出ていけ。」といわれるようになりました。
私は大学を中退して自活し、家を出ようかと悩みました。
ゼミの教授はそんな私に「君のような優秀な生徒が中退なんてもったいない。」と言ってくれました。
そして「いざとなったら親御さんを説得する。」と申し出てくれました。
私は大学を出るまではどんなに理不尽でも我慢し、社会に出たら即、家を出ようと思いました。
母の攻撃は日に日にひどくなり、大学が休みの日に遅くまで寝ていると怒鳴って起こしに来ました。
私は精神的に追い詰められてパニックになり、自分の頭を壁に打ち付けたりしていました。
そうして私が自傷行為をしている時だけ母からの攻撃はやみました。
それで、自分を傷つける行為がやめられなくなりました。

貯金に精を出す社会人一年目
やっとの思いで大学を卒業し、社会人になると私は猛然とお金を貯め始めました。
ようやく、家を出ることが出来るのです。
母は自分が言ったことなど忘れて「何のためにお金をこんなに貯めているの?」と聞きました。
私は「独立して家を出るために貯めているの。そうすればもう私の顔を見なくて済むでしょ。」と言いました。
すると母は貯金を全部取り上げると言い出しました。
こんなに立派な家があるのに一人暮らしなんて許さないというのです。
このころになると、弟は国立の東京大学に入り父は単身赴任から戻っていました。
母はことの顛末を父に相談し、私が出ていかないようにしようとしました。
私は今までの母とのやりとりを話し、「言うことが聞けないなら出ていけというから出ていくのだ。」と告げました。

次回予告について
父は「もう、お母さんにはうるさいことを言わせないようにするからお嫁に行くまで家にいなさい。」と言いました。
私は、もう干渉されないというのならという条件付きで家に残ることにしました。
こうして、家出騒動は収まりましたが次には職場でのストレスが私をむしばみ始めるのです。
そのお話は次回したいと思います。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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