離婚の危機と統合失調症の陽性期

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統合失調症が再発して、また過去にとらわれ始めた私は主人と距離を置き始めます。

私と母の板挟みになっていた主人は、母の相談役になっていました。

私が流産した時に、配慮してほしいと母に言ったそうですが、そのことを私は知りませんでした。

統合失調症がなぜ過去にこだわるかについて

こんにちは。統合失調症発症歴30年で障害年金で暮らしているemimamaです。

統合失調症の患者さんのご家族は、なぜ過去にこんなにもこだわるのか不思議だと思います。

統合失調症の人の頭の中には、飛んでいた記憶が急に戻ってくるフラッシュバックが起こっているケースが多いのです。

その過去がどの地点のものかによって親子関係や夫婦関係を壊すもととなります。

突然「あの時こう言った。」「あの時なんであんなことしたの。」などと詰め寄られるケースも多いと思います。

ご家族としては、そんな昔の事は覚えていなかったり、妄想が膨らんでいて事実と違っていたりして戸惑うことも多いと思います。

患者さん本人は真剣なのですが、ご家族は言われたことには反応せず、その時の気持ちや今の気持ちを聞いてあげるだけでよいと思います。

へたに抗弁したり、言い争いをすると症状が悪化する恐れがあります。

過去を責められて大変だとは思いますが、お医者さんに相談することや一緒に何か無心になれることをして言葉でない寄り添い方をするのが一番大切だと思います。

ご家族自身が追い詰められたときは、地域の保健婦さんやカウンセラーにそのご苦労を相談してみてください。

患者さんと一緒に家事やガーデニングをしたり、ただ無言で散歩をしたりするのが、妄想を広げない方法の一つだと思います。

母との確執と私の発達障碍児の育児について

私は母と同居することを勧めてきた主人に対して怒りを感じていました。

母との同居は元々無理だということは、私も想像していました。

しかし、母も年齢を重ねて少しは丸くなっているかもしれないとか、以前のような猛々しさはなくなっているかもしれないという期待はありました。

母は一人暮らしに限界を感じながらも、子供と同居することの煩わしさも感じていたようです。

子供の教育に関しては、自身の子育ての経験が発達障害児には通用しないということが母にはわからないようでした。

私の子育てに対する数々の妨害は私の病気を悪化させる原因になりました。

母は妨害しているつもりはなかったと思いますが、いちいち横やりを入れてきました。

母と私の言い争いは、過去の親子関係にも波及し、その矛先は主人へと向かっていったのです。

主人の限界と私の妄言について

新居に移ってから、病気は悪化の一途をたどりました。

私はやっと義母の介護が終わったのに、また苦労をさせられたと感じていました。

そのことが過去の妄想と相まって、主人を無視するようになったのです。

幻想の彼ならこんなことにはならなかったと思い、私は主人に暴言を吐くようになりました。

その頃の主人は仕事でも大きな責任を負っていて大変な時期でした。

それでも、土日には家族サービスをしてくれていました。

会社のストレスを感じる中で、私にもわけのわからないことを言われて限界だったのだと思います。

「俺と今後もやっていく気があるのか?」という趣旨のメールを送ってきました。

私は、「今病気が再燃しているから決断はさせないで。」と返しました。

そのやり取りの後、電話がかかってきて「離婚届を取ってきてくれ。」と言われました。

私は今まで育児と介護で辛かったこと、義妹さんたちに責められて必死に耐えていたことなどをメールで伝え、離婚届を取ってきました。

統合失調症の人に大きな決断はできない

患者さんのご家族に知っておいてほしいことがあります。

妄想や幻聴のある陽性期に大きな決断は出来ないということです。

言っていることが理論的なように見えても、統合失調症の人の頭の中は混乱しています。

自分でもなぜ過去のことがこれほど気になるのかわからない状態です。

そんな時に、本人に決断を迫ると妄想が更に広がる恐れがあります。

脳に負担がかかって興奮状態がひどくなるのです。

こういう時はお医者さんにかかって薬をもらってください。

それにより、妄言は少なくなり、問題自体がなくなる可能性も大きいのです。

決断の前に病院へというのが正解だと思います。

主人の後悔と私の態度の変化について

主人は私のメールを読んで、後悔したようでした。

私が介護と育児をこなしていたころから、病気は少しずつ進んでいたと思うのです。

今、私が再発したらみんな共倒れになるという責任感だけで病気を乗り越えていました。

しかし、当時もよく眠れなくて夜中にネットで彼の痕跡を探したりとおかしな行動には出ていました。

離婚を突き付けられたことで私は開き直り、「親権はいらないから、私はここから出て一人で暮らしていく」と言いました。

そして、主人が止めるのも聞かずに、前の会社の役員の方に連絡を取って、再就職をさせてもらえないか頼もうとしました。

再び幻の彼が現れることについて

結局、主人は離婚届を書きませんでした。

そして、病気の私に迫ったことを後悔していました。

私は前の会社でアポを取り、出向きました。

その役員の人は私が発病して、転部願いをしたときに応えてくれた方でした。

「離婚することになったので、就職しないと自活できません。頼る人がほかにいないので連絡しました。」と言いました。

「〇〇さんは元気でしょうか?」と彼のことも聞きました。

「〇〇か、そんな奴もいたな。どうしてそんなことを聞くんだ?」

「いえ、ちょっと気になったものですから。」と私は答えました。

後日電話がかかってきて「〇〇君にきみのことを聞いてみたよ。『そんな人もいましたねぇ。』という反応だったよ。」と言われました。

私は離婚の話はなくなったとして、その役員の方にお礼を言って電話を切りました。

名前を出したことで、彼がまた動き出しました。

新居まで訪ねてきたのです。

私は社内結婚をした同僚の女性と年賀状のあいさつをいつもしていました。

住所はそのご主人に聞けばわかります。

実は、マンションに住んでいた時にも無言電話はかかってきていました。

新居にも無言電話はかかってくるようになりました。

次回予告について

私はストーキングをしている彼に惹かれていたのでしょうか。

私のような病気持ちと暮らしてゆけるのは主人以外いないと思います。

しかしあの頃の私は幻の彼を求めて、土日に外出を続けるようになります。

その結果、主人を苦しめることになるのです。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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