
一人でいる時間が長いと病気に良くないと思った私は、仕事に出ることにしました。
旅行代理店のパート事務です。
パートの仲間たちとの会話で元気になることが出来ました。
しかし、半年を過ぎるころ念願の妊娠が発覚して退職することになりました。
出産までの間は、何事もなく平穏に過ごせたのですが、慣れない育児をする中で昼夜逆転をし再発することになるのです。

統合失調症のご家族の方に向けて
私の場合もそうでしたが、高齢出産というのは頭でっかちになりがちです。
理想の子育て理論がある人が多く、実際の育児とのギャップに悩むのです。
健康な人でも育児ノイローゼになるくらいですから、統合失調症の人にとってはとても負担が大きいです。
言葉が通じない乳児を抱えて、自身の病気とも向き合わなくてはなりません。
特に睡眠が阻害されることがこの病気には大敵です。
母親だけが孤立することのないように、寄り添ってあげてください。
また自身の育ちを追体験しますので、親との関係が良くない人にとっては辛さが倍増します。
地域の保健婦さんなどに頼って、上手に乗り越えてください。
母乳を上げている間はお薬が飲めないと思いますので、話を聞いてくれる人が必要です。
出産直後の育児では大人との会話に飢えていることが多いものです。
電話でもよいので、話を聞いてあげることが大切です。
パートと妊娠・出産について
こんにちは。統合失調症発症歴30年で障害年金で暮らしているemimamaです。
薬を止めてから一年が経って、もう妊娠しても薬の影響はないだろうと思いました。
妊娠してからもぎりぎりまでパートで働き、無事出産を迎えました。
主人も立ち会ってくれて、お産自体はすごく軽かったです。
痛みもほとんど感じず、すんなり生まれてくれました。
生まれたのは男の子でした。
私は母乳が出にくい体質で、病院では母乳以外禁止だったので、かなり苦労しました。
しかし、退院後はミルクに切り替えて母乳と併用して飲ませていました。
母乳の出が悪かったせいなのか、ミルクをがぶ飲みして夜に吐き戻すことが多かったです。
それで夜中や明け方にベビー布団を洗濯したりして昼夜が逆転していきました。
主人は仕事で疲れていても、洗濯を手伝ってくれて本当に助かりました。
昼間に息子が昼寝している時間に私自身も仮眠を取り、なんとかやり過ごしていました。

昼夜逆転で起こったフラッシュバックについて
しかし、またフラッシュバックが起きるようになってきました。
最初はお産の時のフラッシュバックでした。
そして徐々に、幻の彼のフラッシュバックが起こるようになってきてしまいました。
育児をしないといけないので、再発が怖くなり、薬を処方してもらいました。
主治医はもう3度目だからと、かなり多い量のリスパダールを処方しました。
それで私は、起き上がれなくなってしまったのです。
育児をしないといけないのに、ミルクをあげたりおむつを替えるとすぐに横になってしまいます。
自分が情けない母親に思えて、落ち込みました。

育児ノイローゼと希死念慮について
そして、薬の影響と育児ノイローゼから希死念慮(死にたくなること)が起こるようになりました。
こんな母親で申し訳ないという気持ちと、こんなに苦しいならいっそ消えてしまいたいという気持ちが交錯しました。
17階のマンションのベランダに立ち、何度飛び降りようと思ったかしれません。
主人は子供をとても愛していましたし、息子は置いて私だけ逝くことを考えていました。
母乳育児を終えていたそのころには、息子の発育に問題があることがわかりました。
発語が遅いのです。
保健所での対応そして育児支援センターについて
保健婦さんが機械的な人で、〇か月には〇〇が出来るというマニュアルに沿って子供の発育を見ていました。
そこで、元々薬を飲んで不安定な私をもっと不安にさせるような言葉を投げかけてきたのです。
「保育支援学級に連れて行った方が良い。」と言われました。
そして、見学に行ってみると発達障害の子たちが集まっている所でした。
私は感覚的にそんなはずはないと思い、育児支援センターに通い、見てもらいました。
「『自閉症児』の可能性があると言われたんですけど。」というと、相談員の人は「こんなにお母さんに甘える子は自閉症の傾向はありません。」と言ってくれました。
そして、育児ノイローゼや自分の病気のことも話すと、育児カウンセリングに通ってみませんかと勧められました。

次回予告について
さて、次回は子供の障害と私の病気の減薬についてお届けします。
息子はADDでした。
ADHDと違い多動性のない発達障害です。
これをカバーするために母としてできることを学びながら、持病と対峙する様子をお届けします。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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