解離性障害を発症したOL時代

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社会人になってからの私は早くからプロダクトリーダーを任され奮闘していました。

そんな中、ストレスを受けるたびに一部の記憶がなくなるという現象が起きるようになったのです。

こんにちは。統合失調症発症歴30年で障害年金で暮らしているemimamaです。

大学を卒業したのち、一度転職して現在では大手企業に成長したある商社に入社しました。

最初は営業アシスタントとして営業部のサポート事務を行っていました。

解離性障害の発症について

急成長をした会社でしたので残業続きでしたが、母はもうそのことにとやかく言わなくなりました。

会社では少しのミスも許されないほどの緊張感が漂い、自分にも他人にも厳しく仕事をしていました。

そこで後輩の男性に恨みを買ってしまいました。

上司に私の態度について不満を漏らしていたようです。

また、彼は自分の同期のプレイボーイに私に近づき、振るように仕向けていました。

私は最初その男性の誘いには乗りませんでしたが、仕事での悩みがあるから相談に乗ってほしいと言われて一度だけ付き合いました。

しかし、車の中でけんかになってしまいました。

怒った彼は私を脅してきました。

私は怖くなり、無理やり最寄り駅で車を降り一人で家に帰りました。

そして、家に帰るころには誘われて車に乗ったことも、彼のことも忘れてしまいました。

翌日出社した際、彼から謝罪の社内電話がかかってきましたが、私は何のことかわからず「仕事の件ですか?」と聞きました。

彼は違うといったので「それなら失礼します。忙しいので。」と電話を切りました。

すると私の席までやってきて自己紹介をしました。私は初対面としか思えず、そのような対応をしました。

なぜこのようなことを長々と書いているかというと統合失調症発症当時、この一連の出来事が繰り返しフラッシュバックしたことがあったからです。

このフラッシュバックがきっかけで、幻聴と妄想が始まりました。

この後、彼は私に執着して私の転部先の支社に転属願を出して追いかけてくるのですが、それでも発病前には彼の印象はとても薄いもので、潜在的に危険人物と認識していたように思います。

転部先でも起こる解離性障害

私が転部をしたのは本社が移転し、移転先についていくか支社に異動するか迫られたからでした。

会社が急激に業績が下がり、営業部には無茶な目標が掲げられ、営業マンもアシスタントも疲弊しきっていました。

私は移転先にも支社にもどちらにも通える距離のところに住んでいましたが、新天地を求めて支社に異動願を出しました。

支社ではプロダクトをサポートする部署に配属になり、上司が仕事をあまりやらない人だったためリーダーのやるべき仕事を徐々にこなすようになりました。

その部署の部長がとても怖い人だったのですが、私は長年の母との格闘があったので口では負けませんでした。

そして、その分余分に仕事を引き受けました。

部署内にはトラブルメーカーがいて、そのサポートに苦労する日々が続きました。

私の仕事はいつしか全てのトラブルを解決することになっていきました。

トラブルは未然に防ぐのが一番なのですが、そのトラブルメーカーの人はこちらの手の内を全て客先にしゃべってしまうのでした。

そして想定外の事態に陥った時、打つ手がなくなっていたのです。

その度に、尻ぬぐいをするのが仕事になりました。

私はそのストレスのために、休日や仕事終わりに洋服を大人買いしていました。

買い物依存症になっていたと思います。

仕事関係で人間不信になり、常に一人で行動するようになりました。

男性との付き合いもなく、趣味は海外旅行です。

そして仕事で嫌なことがあるたびに、もうこんなことは忘れると言って本当に記憶が消えてしまうのでした。

私の中ではストレスを記憶を消すという特技(当時はそう思っていました)で発散していました。

仕事はきちんとできるのですが、トラブル解決後は記憶がきれいさっぱり消えていきます。

この一部の記憶が消えるという症状はのちに解離性障害だとわかりました。

ハードワークの中で精神病一歩手前の状況にいたのです。

次回予告について

さて、次回は統合失調症の発症のお話をする前に皆さんが一番知りたいであろう自分でできる障害年金申請の仕方をお届けしようと思います。

コツと病院選びは重要になってきますのでそれらを詳しく解説します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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