絵画教室と薬なしで乗り越えた統合失調症の陽性期

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前回、統合失調症が再発して私の妄想に耐えられなくなった主人から、離婚届を取ってくるように言われたお話をしました。

結局、主人は離婚を思いとどまりましたが、今度は私の方が主人に対して冷たい態度を取るようになります。

過去がフラッシュバックして、OL時代の感覚に戻ってしまい幻の彼のことを追い求めます。

どこに住んでいるかもわからないので、会社以外居場所は知りません。

でも、会いに来てくれると思い込んでいました。

統合失調症の見当識には第三者が必要なこともある

こんにちは。統合失調症発症歴30年で障害年金で暮らしているemimamaです。

見当識とは 現在自分が生活している状況や自分自身の存在を客観的に正しくとらえる精神状態のことです。

統合失調症の陽性期には、この感覚がなくなり幻想に生きている場合があります。

こんな時は身近な人でなく、日頃の生活に関係のない第三者の人に寄り添ってもらえると回復することがあります。

要は夫婦関係や親子関係のことを愚痴れる相手です。

私の場合は中学の同級生のお父さんが絵描きの人で、絵画教室をやっていたのでその人を頼って参加することにしました。

パステル画を学びながら、カウンセリングを受けているような感じでした。

絵画教室での様子について

教室はそのお父さんの自宅で行われ、無心になりながらひたすら絵を描きます。

その教室は土曜日行われていて、それ以外の曜日は近くの公民館で教室が開かれていました。

絵画は大学のころに、人文学の科目の一つとして油絵を描いていたことがありました。

パステル画は初めてでしたが、絵の具などの道具の準備が必要ない分、手軽に出来るものでした。

私は主人と離れる時間を作るため、息子と一緒に土曜日は出かけていくようになりました。

本当のことを言えば、そこに行けば幻の彼に会えると思い込んでいました。

どうしてそう思っていたのかは今もわかりません。

何の接点もないのです。

しかし、主人と距離を取って主人の日ごろの態度について先生に話を聞いてもらううちに、病気は少しずつ安定していきました。

その頃もまだ、病院には通っていませんでした。

私は無心になれる趣味を見つけたことで、頭の中の幻聴と話をしなくなりました。

薬に頼らなくても、病気が快方に向かうのでとても充実した時間でした。

一人になった主人の様子について

その頃の主人は会社が休みの日に一人ぼっちでした。

家の近くの河原に散歩に行ったりして、自分の事を見つめなおしていたようです。

私の病気の事や息子とのことを客観視することが出来たのではないかと思います。

私自身は息子を連れだすことで主人に自由な時間を与えていると思い込んでいましたが、主人は孤独に苛まれていたと後に話していました。

しかし、土曜日に家族一緒にいないことで日曜日には穏やかな気持ちで主人と向き合えるようになってきました。

つまり全ては私のわがままだったのだと思います。

幻聴と妄想は一人でいると膨らんできます。

主人が会社に行って、息子も学校に行っている時私は家事以外することがありません。

ママ友も子供が学校に上がるとパートを始める人が多く、話し相手はいませんでした。

そのこもった思いを、絵画教室で吐き出していたような気がします。

幻想からの解放について

一人で部屋にいたときにそれは突然起こりました。

もう数十年も前の記憶でしたが、彼との最初の出会いの時のことが繰り返し思い出されました。

頭の中に映像が浮かんできて、単なる思い出ではなく臨場感のあるシーンが浮かんできました。

フラッシュバックでは幻の彼とのけんかの場面が繰り返されるようになり、心の底から怒りが湧いてきました。

私がこだわっていたのは、愛情ではなくて彼への憎しみだったのです。

うまく言葉にできませんが、頭の中のこだわりをけんかの場面を思い出すことによって手放すことに成功しました。

それからは、彼のことが全く気にならなくなりました。

すると、フラッシュバックや幻聴が収まっていったのでした。

私の病気が癒された一人カウンセリングについて

パステル画を描きながら、ひたすら絵と向き合い心を無にするとき病気が快方に向かいました。

薬に頼らずとも、過去の自分の辛かった思い出を手放すことができたのです。

どうやってやるのかというと、絵を描くことでも、ガーデニングでも家事でも何でも良いです。

それに集中して、小さな達成感を積み上げてゆきます。

その間に自分との対話をするのです。

統合失調症になったことのある人なら、フラッシュバックに悩まされない人はほとんどいないと思います。

そのフラッシュバックのおおもとまで、深く自分を見つめなおします。

すると、病気が始まった最初の場面まで戻ることが出来る場合があります。

そして、その時の感情を再体験することによって、こだわりを手放していくのです。

なぜこの病気になったのか、どうしてこの病気に選ばれてしまったのかなど常に頭から離れなかった思いが諦めに変わってゆきます。

それがいつ起こるのかとか起きることがないのかは個人差があるので何とも言えません。

しかし、私の場合は、一人で過去に思いをはせている時に突然起こりました。

猛然と怒りがこみ上げてきて、そして消えていったのです。

そうしたら、過去の会社のことも彼のことも気にならなくなりました。

次回の予告について

平常心に戻ることが出来た私は庭づくりに没頭するようになります。

これは山野草が好きな主人とも合う趣味で、一緒にガーデニングをすることによって夫婦の絆を取り戻します。

そして、庭の写真を撮ったり、公園や植物園で花の写真を撮りブログにあげることに夢中になっていきました。

しかし、その頃は息子が学校で問題を起こしている時期でもありました。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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