
教育サービスセンターへ行ってみる
息子の学校不適応は続き、私は勧められた教育サービスセンターに通うことになりました。
教育サービスセンターは子供の発達障害の具合を見てくれたり、親の対応を教えてくれたりするところです。
「お子さんはADDと言ってもグレーゾーンなので、かえって辛いかもしれませんね。」と言われました。
健常者と見分けがつかないのに、注意欠陥があるために静かに混乱しているというのです。
「母として、宿題や課題に一緒に取り組むようにしています。それで絵は描けるようになったんですよ。」と言うと「サポートがとても大事だ。」と言われました。
学校でもいじめにあっているようで、背中に靴跡がついていることがあったりしました。

こんにちは。統合失調症発症歴30年で障害年金で暮らしているemimamaです。
発達障碍児子育ての中での流産
息子が学校で孤立する中、私は二人目を妊娠しました。
これで主人の望みをかなえられると思ったのですが、お医者さんは「母子手帳は次回にしましょう。」と言いました。
発育が良くなかったようで、次に受診した時には流産していることがわかりました。
「流産はお子さんの方の問題で母体の問題ではありません。また妊娠できる可能性はあると思います。」と言われましたが、その後妊娠することはありませんでした。
流産の処置を終えて帰宅すると、また母が子育てについて文句を言ってきました。
私が子供を構いすぎだというのです。

終わらない母との育児をめぐるバトル
「私は私が育てられたかったように育てているだけだ。」母に言うとそれはそのまま母への批判に繋がります。
そして流産直後にもかかわらず「あんたがわがままだったからよ。」と言われてけんかになってしまいました。
「僕がしっかりすればいいんでしょ!」と息子はその場を離れ、外遊びに行ってしまいました。
母との言い争いは息子にとっても辛いことだったようです。
自分の事でけんかしていることはわかるので、いたたまれなかったのだと思います。

発達障碍児(グレーゾーン)の学習方法を求めて
私は息子にあるはずの才能を伸ばすため、必死でその痕跡を探しました。
どらえもんの学習漫画シリーズを揃えて少しでも勉強に興味が向くようにしました。
その中の体の仕組みの漫画がとても気に入ったようでした。
内臓のどの部分がどんな働きをするのかを調べるようになりました。
そして医学関連の番組も好んで見るようになりました。
息子には幼稚な中にとても大人びた部分があるようでした。
ですから、私は息子が学習障害ではないという希望もありました。
学校で配られるドリルなどは一切やりませんでしたし、宿題もないと嘘をついてプリントを隠していました。
そうして自分の興味のあることだけに夢中になっていくのでした。
私はその中で本を読むことを習慣化したり、文字が書けるようになれば良いと思っていました。
今にして思えば、この頃にも絵本の読み聞かせを続ければ良かったのかもしれません。
科目によって能力に偏りのある息子には、レベルを下げて学びにつながる方法を模索することが大切だと思いました。

解消される同居と母との決別
さて母との衝突は相変わらず続いていました。
元々自分のやり方が一番良いと思うところがある人でしたが、子供が成績が良かったことで下手にいじくりまわさないほうが良いという信念がありました。
私のやり方にいちいち口をはさみ、いつしか母と一緒にいるだけで怒りが募るようになりました。
これでは、とても同居など不可能です。
私は主人に打ち明けましたが、母からも「一緒に住むことは出来ない」と聞いていたようです。
そうしているうちに、フラッシュバックが再び起こるようになり、私は病気に逆戻りしてしまいました。
新しい子供と母を迎えて住むはずの新居は無事完成しましたが、広すぎる家となってしまいました。

次回予告について
さて、次回は引っ越しの最中に起こる幻聴と解離性障害についてお届けします。
逃げるようにして実家を出た私たちは、新居で私の病気が再発し夫婦の危機を迎えることとなります。
主人が中立的な立場にいたことや陰で母をかばっていたことなどが妄想と相まって私の不満が爆発します。
そうしてついに、主人から離婚届をつきつけられるのです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
コメント