母との葛藤の日々と理解されない障害児の子育て

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介護の終わりと二人の親との死別

義母の介護は大変でした。

二人がかりでもおむつをはかせるのがやっとで、お風呂は私が介助します。

夜ご飯に用意したハンバーグを焼く前に食べようとしたりして、慌てることもありました。

そして、グループホームでは誤嚥性肺炎になってしまい、危篤状態になりました。

一方の父は長年の喫煙のせいか肺がんの末期になっており、あっけなくこの世を去ったのです。

こんにちは。統合失調症発症歴30年で障害年金で暮らしているemimamaです。

義母と父は一週間違いで亡くなることとなりました。

父の方の葬儀は母が取り仕切り、つつがなく行われましたが、義母の葬儀はもめて大変でした。

義妹さんたちの遺産をどう配分するかとか、どのような葬儀にするかとか散々混乱したのです。

私たちは、義母のマンションを遺産放棄しましたが、それでも紛糾しました。

お墓を作るにあたっても、どこにするかとかデザインをどうするかで揉めました。

そうしたことに、主人は辟易し、義妹さんたちとの絶縁を宣言するまでになりました。

主人の提案で持ち上がる私の母との同居

主人は「母にしてあげられなかったので、私の母と同居してもよい。」と言うようになりました。

確かに、母は実家を一人で維持するのが大変だと言っていましたが、私自身母とは確執があるので自信がありませんでした。

しかし、義母の介護で延び延びになっていた二人目の子供を作ることを考えると今のマンションは手狭でした。

マンションからの引っ越しと一戸建ての建築

そのころ不動産の勉強もしていた私は、マンションのスラム化のことが気になっていました。

居住者が出て行って、管理費が払われず放置されるようになる現象です。

現に日本でもリゾートマンションなどでは実際に起こっていることでした。

集合住宅は、修繕や建て替えが個人の考えではできず、管理組合が多数決で決めていきます。

マンションを買った直後の会合でも、修繕積立金の増額をしないと維持管理が出来ないとの説明があったのです。

それで私はマンションではなく、一戸建てに住み替えることを真剣に考えるようになりました。

今でこそマンションブームが東京を中心に起こっていますが、タワーマンションなどは足場が立てられず、修繕が難しいので後10数年でこのことが社会問題化するのではないかと思います。

さて、マンションを売りに出すのはとても大変でした。

ちょうどデフレが一番ひどい時期で、買い手がなかなかつかなかったのです。

一戸建てを建てる場所と建築会社は決まりましたが、売れない限り着手できません。

ようやく、買い手が付き、一戸建てを建てる準備が整いましたがその間仮住まいをしなければなりません。

そこで、実家にお世話になることになりました。

実家での仮住まいと育児をめぐる母との軋轢

母との仮住まいでの同居は、新居での同居のリハーサルのようなものでした。

しかし、私が息子に勉強を教えているのを邪魔してくるのです。

そのころ、息子はちょうど小学校一年生になったばかりでした。

学校の先生から、「集団教育には馴染まないおこさんかもしれません。」と言われました。

学校の実習で朝顔の観察日記をつけるのですが、息子だけ白紙のままでした。

いくら見たままを書けばよいと言っても何も書けなかったのです。

私は息子に〇や△を使って葉っぱや花の形を描くことを教えていました。

しかし、母は「どうしてそんなことやらせなくてはならないの?」とか「私は放任主義だったけど子供は成長とともに出来るようになったじゃない。」と言い理解を示しませんでした。

私は息子に教える邪魔をしてほしくなかったので放っておいてほしいと懇願しましたが、「意見を言っちゃいけないの?」と聞く耳を持ちません。

教えているそばから、横やりを入れてくるので度々中断をし、息子も集中できない様子でした。

私はイライラして、母とけんかが絶えなくなりました。

私が放任されていたことは、私にとってはつらい思い出です。

なので、余計に癪に障りました。

次回予告について

さて、次回は私が母との葛藤が収まらず、私の流産を機についに病気が再発します。

息子の子育てを悪気はないのでしょうが邪魔することをして、なお且つ私の流産にもひどい言葉をなげかけるのです。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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