発達障害の育児

発達障害の育児 発達障害の育児

発達障害児を育てていらっしゃる親御さんに出来る育児のサポートをお届けします。
学校の課題の手伝いや友達付き合いの事とサポートセンターの情報もお届けします。

発達障害の育児

発達障碍児の問題行動と教育支援センター

前回は、夫婦の危機を乗り越えて統合失調症の寛解期を迎えた話をしました。 病気が落ち着き始めると、私は他のママ友と同じようにパートをするようになりました。 子供が学校から帰るころまでに終えられるような早朝の仕事です。 しかし、学校では息子の不適応が起こっていました。 息子が小学生の頃はまだゆとり教育が行われている時期でした。 なので学校の成績からは、息子が落ちこぼれていることはわかりませんでした。 学校では息子は注意されると机ごと廊下に出てしまい、教室に呼んでも戻ってこなかったそうです。
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発達障害児の子育てと流産と統合失調症の再発

息子の学校不適応は続き、私は勧められた教教育サービスセンターに通うことになりました。 教育サービスセンターは子供の発達障害の具合を見てくれたり、親の対応を教えてくれたりするところです。 「お子さんはADDと言ってもグレーゾーンなので、かえって辛いかもしれませんね。」と言われました。 健常者と見分けがつかないのに、注意欠陥があるために静かに混乱しているというのです。 母として、宿題や課題に一緒に取り組むようにしています。それで絵は描けるようになったんですよ。と言うと「サポートがとても大事だ。」と言われました。
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母との葛藤の日々と理解されない障害児の子育て

義母の介護は大変でした。 二人がかりでもおむつをはかせるのがやっとで、お風呂は私が介助します。 夜ご飯に用意したハンバーグを焼く前に食べようとしたりして、慌てることもありました。 そして、グループホームでは誤嚥性肺炎になってしまい、危篤状態になりました。 一方の父は長年の喫煙のせいか肺がんの末期になっており、あっけなくこの世を去ったのです。 義母と父は一週間違いで亡くなることとなりました。 父の方の葬儀は母が取り仕切り、つつがなく行われましたが、義母の葬儀はもめて大変でした。
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発達障害児を抱えて介護と育児を両立する日々

息子が三歳になるころには、義母は完全にアルツハイマー型認知症になっていました。 主人には2人の妹さんがいましたが手分けして介護することになりました。 主人が仕事のない土日は義母の面倒を見ることになったのです。 息子がおむつが取れるとともに義母がおむつをするようになりました。 義母の最初の症状は絶え間ない頭痛だったそうです。 そして、次第に言葉が出なくなり泣いてばかりいるようになりました。 そのうち表情がなくなり、徘徊するようになりました。
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息子の発達障害と引っ越しの決断

私の病気は育児カウンセリングのおかげもあり、落ち着きました。 寛解期を迎えたので、またしても服薬をやめました。 すると、やる気が戻ってきて育児に専念することが出来るようになりました。 私は息子のために何か良い教材はないかと考えるようになりました。 まず、七田式のフラッシュカードを購入して試してみることにしました。 ADDの息子にとっては、興味のないことに向き合う力はありません。 ディズニーの英語教材も揃えてみましたが、なかなか集中できませんでした。